突発性競作企画第18弾『E』に提出したものです。



8 years after



 気まぐれに出てみた同窓会は、思っていたのと同じくらいには退屈で、黙々と食べ物を口に運びながら、もう帰ろうかと野沢は腰を浮かす。来るだろうと思っていた友人たちは、揃いも揃って欠席だった。
 すぐ後ろに置いてあったコートを手にとって席を立つと、どうやらトイレから戻ってきたらしい女に手を振られた。八年前、高校を卒業した頃より下がった視力の目を細めて見る。誰だか判別するより前に、相手に声をかけられた。

「野沢じゃん。久しぶり」

   席が離れていたせいだろう、今日初めて顔を合わせた友人に、野沢は控えめな笑みを浮かべた。
 席よりは明るい照明の中で、コートと控えめな笑みとで野沢が帰ろうとしていることを察したのか、史はレストランの入り口へと歩き出す。高校にいた頃から、彼女の気遣いに助けられていた。今更ながらにそんなことを思い出して、野沢はふっと口を緩めた。
 帰る段になって、やっと友人と話せるなんて。どれだけ運が悪いのだろう。それとも、言葉を交わせるだけ、運が良いのだろうか。

「史(ふみ)さん! 久しぶり。元気だった?」
「そりゃ勿論! 野沢は?」
「うん、まあま……ごめん、電話――はい……なんだ、どうしたの……今日? 決めてない……わかった。じゃぁまた――ごめんね、話の途中で」
「ううんー。野沢、結婚したの?」
「け、結こ……」

 突然かかってきた電話と、漏れ聞こえる内容からか、史がそう問うた。
 一瞬、虚を突かれたような表情を野沢は浮かべる。そんな解釈を、想定してもいなかったとでも言いたげな。
 にこやかな表情を浮かべた史は、心の底から祝福しているのだろう。自分の解釈には、まるで疑問も抱かずに、野沢の左手を見ている。
 史の視線をたどってそのことに気付くなり、右手に嵌めていては仕事に邪魔だからと左手に嵌めた指輪を隠して、野沢は首を横に振った。

「あぁ、ううん。三人で暮らしてるんだ」
「三人?」
「うん。西鶴と昌男と」
「西鶴と昌男……? あぁ、って、ぇえっ!?」
「大学のときに昌男のとこに私と西鶴が転がり込んだんだけど、三人とも無事に就職したし、こないだ、もうちょい広いとこに引っ越したんだ」
「お、親は?」
「全員まとめて説明して、説得した。お互いに肉体関係求めてるわけじゃないし、この三人で同居する分には、健康もそこそこに保たれるので、って」
「野沢……」

 絶句した史の表情が、ゆるやかに変化する。いくらか落とされた照明の中でも明らかなそれに、野沢は内心溜息を吐く。この話をするたび、あまりいい顔はされない。当然だろう、年頃の男女が同居していて、しかもそれが三人だというのだから。実のところ、両親にだって未だに心底納得されたわけではない。それでも、高校の時から委員会の関係で仲が良いことは両親にも知れていたので、それを盾に無理矢理同居を認めさせたようなものだった。
 軽蔑、されるだろうか。
 野沢の不安を余所に、史は溜息を吐く。
 呆れられた、か。
 いくらか俯きかげんの野沢の耳に、史の声が降る。

「……すごいね」

 恐る恐る顔を上げた野沢の目の前に、感嘆した史の顔があった。
 潤んだ目許は、きっと淡い照明の中で気付かれないだろう。ありがとう、と小さく呟いて、野沢は笑う。

「ただのルームシェアだよ?」
「いや、男二人女一人とか、普通は穏便に済まないから!!」
「だって、三人で集まるときってテレビの前でごはん食べるかゲームするかくらいだし」
「……どうなのそれ」
「うん? 健全じゃない?」
「いや、健全だけど……」

 言い淀んだ史の視線の先、足音を耳に入れて、野沢が振り向いた。
 コートを当ててしまったことを史に謝りながら、目の前の人影を凝っと見る。見覚えのない――いや、おそらく史が見ていたということは今宵の同窓会の参加者なのだろう――男は、野沢を見つけたことに、安堵か喜びか、少なくともマイナスではない何かを感じたようだった。
 近づいた男の、はにかむような笑みに、野沢は彼の名前を思い出す。

「大原くん」
「彼氏さんはどうしたの、野沢さん?」
「へ? 大原くん、何言ってるの一体。そんなのいないのに」
「え……だって野沢さんよく『昌男』とか『西鶴』とか呼んでたじゃん。あれ、彼氏じゃないの? あれ、でも、二人?」

 冗談めかして言いながらも、そのうち真剣に悩み始めそうな大原に、野沢は首を横に振ってみせる。
 事情を、説明するべきだろうか。
 頭の片隅を過ぎった考えを、野沢は半分打ち消した。実のところ、大原と親しく話した記憶はほとんどないのだ。さほど親しくもない人間に、説明する必要は生じてしまったけれど、だからと言って詳しく説明する必要はないだろう。
 そう判断して、野沢はあっけらかんと大原の言葉を否定した。

「違う違う。ルームメイトだから、ただの」
「……はい?」
「委員会の友達。で、大学入学してから皆で暮らしてる」

 絶句するのみならず、完璧に動きを止めてしまった大原の目の前で手を振りながら、野沢は困ったような表情を浮かべて史を見る。
 見られた史も、困ったような表情を浮かべていた。

「ここってフリーズしちゃうとこ?」
「まぁ、普通は」
「ぇー、史さん絶句しただけだったじゃん」
「え、なんで!?」
「それはほら、大原くんは……」

 そこで言葉を切って、史は視線をさまよわせる。フリーズ状態から回復するなり驚いた大原は、史の顔を凝視している。
 八年経ったけれど、まだ、大原の気持ちは八年前と同じようにあるのだろうか。
 窺うように大原を見ても何がわかるというわけでもなく、史は訝しがる野沢に笑んでみせる。声に上擦った調子はなかったけれど、視線は落ち着かないまま、史は続けた。

「まぁ、野沢たちなら有り得るかな、って思ったから」
「……え?」
「うん、じゃそういうことで。向こう行ってくるから」
「あ、うん。じゃぁまた」

 途中で切られた史の言葉に釈然としないながらも当然のようにコートを着始めた野沢を、目を見開いて大原が見つめている。
 そういえば先ほどから自分は大原を固まらせたばかりだ。
 八年前は、逆だったのに。
 不意に浮かんだ記憶に、野沢は目を伏せる。そうだ、八年前は授業中でもそうでなくても、大原に話しかけられるたびに小さなパニックになっていた。
 どうして今日はそうならなかったのだろう。
 考えても仕方がないのだろうか、と打ち消して、野沢は首を傾げてみせた。

「どうしたの? 大原くん」
「あ、いや、……帰ろうかな、俺も」
「じゃぁ」

 帰ろう。
 野沢の言葉に頷いて、大原は背を向ける。荷物を取りに行くのだろう。
 壁の影に寄り添って、野沢は眼を伏せた。