未来派Lovers




「あれ、胸でかくなった?」
 小気味良い音が部室に響く。私たち以外誰もいない部室の闇に、陽だまりが溶けていた。
 苦笑いを浮かべたまま私を見る彼は、珍しくTシャツを着ている。襟元から覗く鎖骨から、どうにも目を離せずにいた。
「……すみません、つい」
 少し赤くなった頬を擦りながら構わないと答える彼に甘えて私はもう一度、彼の頬に平手打ちをした。

 彼と以前会ったのがいつだったか思い出せないほどに、私たちは久しぶりに顔をあわせていた。
 駅まで一緒に行かないかと誘われた矢先、立ち上がった瞬間彼が息を飲んだ。夕陽に照らされた横顔に一瞬見惚れた私は、次の瞬間それを後悔することになる。

「相変わらずそういうところには目が向くんですね」
「男だからね」
「隠す努力はエチケットじゃないんですか」
「今更そういう仲でもないだろ」
「……一体どういう目で女性を見ているのかと疑いたくなります」
「大丈夫だよ。本気で抱きたいと思うのは一人だけだから」
「抱……って、昼間から何言ってんですか一体」
 いけないと思いながらも彼が相手だからか普段よりはっきりとした物言いになってしまう。
 漫才のようになってきていた会話に彼がさり気なく紛れ込ませた甘い毒を、私はいつものように捨てようとした。それはそれは乱暴に。
 そして彼も大抵はそれに合わせて冗談だと打ち消すのだけれど、
「えー、本音だよ」
 なぜかいつもと違う彼の返答に、私は面食らった。
「……ソウデスカ」
「うん。お前は僕にとって大事な人だよ」
 ほらまた。甘い毒を、さも当然の如くごくごく自然に彼はこちらに向けるのだ。
 いつもとは、まるで違う。
 苦し紛れに私は口の端を歪めて笑った。
「『大事な人』の安売りは良くないですよ」
「鈍いね。それともそれは装ってるだけ?」
「……何がですか」
「目を瞑って」
 どこか苛立っているように聞こえなくもない彼の声に従って目を閉じた。
 視覚が遮断されたからか、机が軋むあの独特の音が、いつもより大きく聞こえる。
 初めて重ねたくちびるは、存外に柔らかかった。



[ 未来派Lovers ] 笠原弘子

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