アンチ・ロマンチック




「生産性がないよね」
「……は?」
 さぞかし私は間抜けな顔をしていたことだろう。
 そのとき、私と彼女は向かい合って座っていた。ミスターゾーナツでお替わり可能なアメリカンコーヒーを飲みながら勉強しよう、という話になったため、駅前の小さな店舗の一角を乗っ取ったのだ。
 私が二回お替わりをする間に、彼女は既に五杯は飲んでいたと思う。だから彼女はカフェインをたっぷり摂っている筈で、つまり、彼女が寝惚けているだなんてことは、まずない筈だった。
 しかし彼女はもう一度繰り返して言った。
「生産性がないよね」
 と。
 目を瞬かせる私に、彼女は広げていた問題集を掲げてみせた。
 なんてことはない、三ミリ程度の薄っぺらい現代文の問題集だった。私たちの学年全員が学校から配布され、定期テストに少しずつ出題されるものだ。たしか、古典のそれが色違いで、二つを並べると桧皮色重(*1)になるのだと誰かがいっていたような気がする。
 ここを読め、と指で彼女が叩いてみせたのは、よくある恋愛小説を問題として取り扱っていた頁だった。丸みを帯びた彼女の字がいくつもの解答欄を埋めているのをちらりと見やってから、私は肝心の問題に目を移した。
 正直なところ、私は世間に広く親しまれている恋愛小説というものを、軽蔑している。ご都合主義にもほどがあるような気がして、読んでいて面白くないのだ。むしろ、嫌悪していると言っても過言ではないかもしれない。そして、それは私のアニメ嫌いにも通じる考えだ。何故あんなにも主人公に都合よく作られた話に皆のめり込めるのか、私には全くと言って良い程理解できない。
 彼女もそれを知っているだろうに、と呆れながらも私はその小説を目で追った。
「おしえてほしいんだ」
「何を?」
 少女は静かに問うた。
 夜闇の帳はその色を濃くし、凍てついた空気は坂の下に広がる街の明かりと天との間できらきらと輝きながら降り積もっている。
 両手で包み込むように持っている缶コーヒーからじわりとぬくもりが広がっていくのを感じながら、少女は目を伏せた。
「『付き合う』ということの、その意味を」
 一拍おいて、少年は言った。
「僕は、君のことが好きだけれど、『付き合う』というのがどういうことなのか、まったくわからないんだ。だから、教えてほしい。君の口から聞きたいんだ」
 うるさく鳴り響く携帯電話に無視を決め込み、少女は缶コーヒーを凝視した。
 先ほど彼女が彼から受け取ったそれは、まだ温かかった。

 なんてことはない、ありふれた恋愛小説だった。
 例題だからかとても短いその文章の最後には、細長い四角形の枠が一つ描かれていた。
 やけに解答欄に字が密集しているところに目をやると、続きを考えて少女に少年への質問の答えを言わせろ、とでもいうような設問が書かれていた。
 そして、つまるところ、その答えが、
「ね? 生産性が無いでしょ?」
「それ、付き合わなかった場合のことじゃない」
「だから『付き合う』ってことが必要なんじゃない?」
「うーん、でも、生産性って何を?」
「それはもちろん、愛ですよ」
「嘘をつかないで」
 ちょっと待ってて、と言い置いて、私は席を離れた。カップを差し出すだけでお替わりを注いでくれるというのは、なんとも便利なシステムだと思う。 席に戻ると、彼女は拗ねたように私を睨みつけた。
「嘘じゃないのに」
「愛に対して生産性なんて言葉を使う人、初めて見た。その言葉を使うなら、生産されるものはもっと別のものだと思うんだけど。子どもとか」
「だから愛じゃない」
「どこが」
「子どもに対する親としての愛が芽生えるのだもの、愛を生産する行為が『付き合う』ことなんじゃないの?」
「ねぇ、ちょっと待って。それ、普遍的なこと?」
「え?」
「中学生や高校生が子どもを作るなんてこと、ないでしょ? 普通は。だから、『生産性がないから』っていうのは良いとしても、それはほんとに『愛』を生産するの?」
「『愛』でしょ。ていうか形にこだわっちゃ駄目だよ。子どもは単なる具体例であって、他にもあると思う。ほんとは良い面ばかりじゃないんだろうけど」
「他の例は?」
「んー、成績が上がるとか。生活リズムが改善されるとか」
「あんまり信用できない、それ」
「どうして?」
 おそらく7杯目であろうアメリカンコーヒーを飲み干して、彼女は悠然と席を立った。すらりとした立ち姿は、背筋がぴんとしていて、目を奪われる。
 ちょっと待っていて、との言葉もなく席を立った彼女は、店員から受け取った砂糖を指ではさんで戻ってきて、何も言わずに腰掛けた。
 一杯飲んで、ほうっと息をつく。どうしてこうも仕草の一つ一つが絵になるのだろうと私はときどき彼女が妬ましくなる。
「で、どうして信用できないの?」
「マイナス面が考慮されてないのにどうやって信用しろと?」
「だって理想を壊したくないもの」
「……今更何言ってるのよ。相談屋さんが」
 半ば呆れてそう言った私に、だからこそ自分の中の理想を壊してはいけないのだ、と彼女は小さく言った。


*1:桧皮色重 ... KRSITALL+(plus)→KASANE→四季通用

[ 曖昧十題 ] (配布元様:) ... アンチ・ロマンチック

home index ←back next→